引きこもりは「甘え」や「逃げ」なのか?

引きこもりというと、なんというかめちゃめちゃネガティブなイメージがありますよね。

それこそ、引きこもりは「甘い」、「甘えだ」とか、「逃げ」だと思っている人も多いと思います。

では、本当にそうなのか、ということについて、実際に引きこもりである私が検証していきます。

※ あくまでも私個人の意見です。

引きこもりは、「甘え」や「逃げ」という意見は分かる

まず、引きこもり=甘えや逃げだと言っている人の考え方やそういった意見は分かります。

引きこもりにも色々いると思いますけど、実際、現実社会から逃れようとして引きこもりになった人もいるでしょうからね。

そこにはある種の甘え的な感情が入っている可能性もかなりありますし、引きこもりから脱出しようとしない事自体も、やろうと思えば出来るのにやらない、というパターンの場合は、甘えに該当するでしょう。

そういう人達がいるのも確かです。

選択肢がそれしか見えない人もいる

ただし、引きこもりになった人すべてが、甘えや逃げなのかというと、それも違うと思います。

当事者になってみると分かりますけど、引きこもりになりたくてなる人って、かなり少ないと思いますよ。

じゃあ、どうして引きこもりになってしまうのか、引きこもりで居続けるのか、ですけど…

そうするしか無いと思いこんでいるとか、選択肢がこれしか無かった、という場合が多いのではないでしょうか。

例えば、学校に行ってイジメなどで酷い目にあって、もうどうやっても解決できない、学校に行くのが苦痛で仕方がないとなってしまった時、登校拒否して引きこもりになるか、自殺するしか選択肢が残っていないと考えてしまったら…

引きこもりになるというのは、立派な選択です。

少なくとも自殺するだとかでこの世を去ってしまうよりはずっといいです。

この選択は、甘えではないでしょう。

寧ろ、その子が選べる中では、最良の選択だと考えられます。

超ブラックな会社で働いていて、精神が崩壊して、会社をやめて引きこもりになるというパターンも似たような感じですよね。

要するに、どうしようもなくて、選択肢がそれしかないと思って引きこもりになるわけです。

これを逃げや甘えというのは、ちょっと酷だと思いますよ。

考え方によっては、逃げていない

また、揚げ足を取るような書き方になるかもしれませんが、考え方によっては、社会から逃げるために引きこもりになった人も、逃げたとは言えません。

確かに社会からは逃げたかもしれませんが、「人生、出来れば楽して暮らしたい」と考えている本能からは逃げなかったわけです。

ある意味で正直な人だといえるでしょう。

引きこもりと一括りにするのは難しい

という感じで、引きこもりといっても、そうなってしまうまでの道筋は人それぞれ、大きく違います。

甘えや逃げるために引きこもりになった人もいるのは確かです。

ですが、それしか選択肢がないと思ってなった人、続けている人も沢山いるでしょうし、引きこもりになりたくてなった人なんていうのは少ないと思います。

引きこもりにも色々なタイプが居るので、一部の人だけをクローズアップして、あたかもみんながそうであるかのような認識をするのは、出来れば止めてほしいと思います。

多分ですが、引きこもりで悠々自適な生活を過ごしている人なんて少ないと思いますよ。

「脱出して社会復帰したい」だとか、「どうにかして自力で生活したい」「お金を稼げるようになって親を安心させたい」みたいなことを考えて、それなりに苦しんでいます。

少なくとも私はそうでした。

だから、引きこもり=だめなやつだ、みたいには見てほしくないな、と思います。