この記事は前回の記事の続きです。
ここでは、卒業研究(卒業論文)で3回も留年した私が、いつ、どんなタイミングで留年を言い渡されたかについて書いていきます。
(3回あるので1回ずついきますね)
まずは、1回目の留年。
このときはまだ引きこもり等はなく、ある企業から内定も貰えていて、心身ともに多少は充実していました。
ですが、研究室の担当教官が結果主義というか、「結果が出ないと卒業論文は書かせないよ!」という人でした。ですので、卒業研究で結果を出せなかった私は、留年することになりました。
実は、時期に関してはそこまで明確には覚えていないのですが、留年を言い渡されたのは、確か11月下旬だったと思います。
理由はもちろん、研究の結果が出ていないからですね。
シチュエーション的には・・・
研究をしていると担当教官に呼ばれたので行きました。
そこで、
みたいなことを言われました。
留年確定、という言い方はされた覚えはありませんが、私的には、この言葉でもう決まってしまったようなものでした。
私はおとなしい性格でしたから、この言葉に対して反論することも出来ず、呆然としてしまったのは覚えています。
ただ、内定をもらっていた企業は学校推薦でしたから、内定辞退とかはそうそう出来ません。
そこで、担当教官が、私が内定した企業に連絡を入れてどうするか検討したようです。
結果的には、内定取り消しではなく、半年待ってもらえることになりました。
まあ、結局半年かかっても結果が出せず、卒論に着手できず、内定取り消しになるわけですけどね。
これが1回目の留年を宣告されたシチュエーションです。次回は2回目の留年のときのことを書きますよ。