卒業研究(卒業論文)の単位の獲得が出来ずに留年してしまった話、第3回目です。
今回は、2回めの留年(2留)の決定、確定した時期について書いていきます。
・・・といいながら、実は、2回目の留年の確定時期は詳しく覚えていないのです。
何しろひきこもり真っ最中で、殆ど大学に行っていなかったので。
確か・・・
みたいなメールを貰ったのは覚えているのですが。
※ 2回目の留年辺りは、完全ひきこもりで、担当教官との意思の疎通はメールのみでした。
私はそのメールに対して、
みたいな適当な返事を書いた・・・気がします。
メールを保存していたのなら日時が分かるのですが、残念ながら昔の話ですし、見つかりませんでした。
ただ、少なくとも年は明けていなかったと思います。
まあ、2回目の留年の場合は、既に留年することが分かっていました。ひきこもりながらも、「全然研究していないのに卒業論文が書けるわけない」と思っていたので。
その分、確定した時期に関しては、強く覚えていないのです。
それにしても、今考えても色々酷いですね。何故、メールでこういう重大なことを伝えるのでしょうか。(まあ、私との意思疎通の手段がメール以外なかったからでしょうけど)
まあ、こういうレアケースもあるということで。
2回目の留年に関してはこれぐらいで、次回は最後の留年、3回目について書きますね。