私が実際に卒業研究(卒業論文)ができずに留年決定、確定した時期について、遂に3回目の留年(3留)編です。
3回目の留年確定の時期は、今までで一番遅く、12月下旬でした。
と言ってもその経緯のせいもあります。
私はその当時、引きこもりは脱出しつつありました。
ですが、昼間に研究室に行くことが少なく、夜の研究室で1人で研究を進めていたことが多かったのです。
わざわざ研究室の扉のマグネットでみんなが退室しているのを確認してから研究室に入る、みたいなことを繰り返していましたから。
(誰かが居る空間に入る、ということが難しかったのです)
そのせいで、なかなか私の行動を補足できず、担当教官が伝えるのが遅れた、というオチです。
メールで連絡が来なかったのも、「研究室に来ている感じはあるから、ちゃんと口頭で説明しよう」と思っていたからでしょう。
で、伝えられたシチュエーション的には、1回目の留年決定のときとほぼ同じでしたが、その後の反応に関しては、3回目の落ち込みっぷりが一番やばかったですね。
敢えて落ち込み順位を書くと、
1位 3回目の決定
2位 1回目の決定
3位 2回目の決定
という感じでしょうか。
理由は、引きこもりを何とか脱出しようと、自分なりに必死にもがいていたところに、スパンと叩き落された感じになったからですね。
自分ではムチャクチャあがいて、必死になっているつもりでも、引きこもりを脱出できるかどうかレベルでしか無く、研究の進捗状況は全然でした。
後から考えると、1回目の留年の時、普通に研究してもダメだったのに、あまり担当教官と話さずに夜中に研究するだけでOKなわけがないのです。
そこまで余裕なら、普通に卒業できているはずですから。
また、1回目の留年は内定取消までの期限を半年伸ばしてくれたので、まだ何とか希望がありました。
2回目の留年のときは、既にあきらめムードで簡単に受け入れることができましたから。
その違いでしょうね。
努力して必死に頑張っている(と本人は思っている)ところに、容赦なく現実を突きつけられるのって大ダメージを受けますね。
実際、これがきっかけでまた引きこもりましたし。
この状態でよくもまあ、卒業+就職できたもんだと、今でも不思議に思いますよ。ミラクルです。
以上、私が経験した、3回目の留年決定の時期やシチュエーションでした。