大学留年時に親にカミングアウトした話【その3】 内定取り消し報告

私が大学を留年した時に、親に留年した事実を伝え、説得した話です。前回は1回目の留年のときについて書きましたが、今回はちょっと番外編というか、半年後に卒業できなかったときのことを書きます。

>>>前回の親とのバトルはコチラ(1回目の留年編)

どうして半年後のことを書くかというと、学校推薦で内定が決まっていた企業が待ってくれる期限が半年間だったからです。

つまり、半期だけで卒業研究(卒業論文)の単位を取得できれば、前期卒業+就職という人生が待っていたのです。

ですが、結果的には大学を前期卒業できず、内定取り消しを受けてしまいました。

だから、留年して前期卒業できなかった、内定取り消しを受けてしまったという報告を親にする必要があったのです。

で、実はこの報告、結構遅くなりました。

なぜなら、留年が決定したのが今まで以上にギリギリだったのと、それに伴う内定企業への連絡、対応等も含めると、全貌がわかったのがかなり遅かったのです。

8月ぐらいでしたからね。

更に精神状態も結構不安定でした。

そりゃあそうですよね、親には「必ず前期卒業して就職します!」とか言っておいて、結局卒業できなかったわけです。

しかも、内定取り消しを受けてしまって、ある意味お先真っ暗です。

だから、内定取り消しが決まってから、2~3日動けませんでした。というかもう頑張れませんでした。

そういう状態を見かねたのか・・・

実は半期卒業できないという報告は、私からではなく、親の方から尋ねてきたのです。

「・・・無理だったんだろう?また頑張ればいいよ」

みたいな感じで。

もうその時の私は、ほとんど頷くことしかできなかった感じですね。もう精神的にズタボロでしたし。もう自分のことで頭がイッパイでそれ以上何も出来ない感じで。

私の親は「元気を出せ」とばかりに、焼肉に連れて行ってくれて、慰められました。

話を聞くと、どうやら親は、内定をもらっていたその企業に行くのを微妙に思っていたようで。

というのも、その企業は実家から相当遠く、飛行機で行く距離でした。

で、一人暮らしになる、お前は世間知らずなので一人で暮らせるか不安だった、だからある意味良かったかもしれない・・・と。

まあ、多分私に気を使ってこういうことを言ったのだとは思いますけど(じゃないと過保護すぎて怖い)、少しは救われました。

とは言っても、ココから長い、引きこもり生活に突入してしまいます。

1年半、必死になって研究していた研究室の扉を開くことができなくなり(精神的に)、外出もほとんどしなくなりました。

そして2回目の留年(2留)を経験してしまうわけですが、それは次回に。

>>>2回目の留年での親への報告、書きました。