ひきこもりの長期化が危険な理由 その2

ひきこもりが長期化してしまうと危険な理由を前回書きました。幸せな未来を描くことが難しくなる、みたいなことを書いたのですが、それ以外にも理由があるので書いていきます。

>>>前回の記事はこちら

それは、ひきこもりが長期化すればするほど脱出、復帰できる可能性が低くなることです。

理由は前回書いた、年齢や学歴の制限があって就職するのが難しいから脱出しにくくなる、だけではありません。ひきこもりを続けている本人の考え方にも変化が出てくるのです。

ひきこもりになってしまってすぐは、

「早くこの状態から抜け出さないと、脱出しないと、復帰しないと!」

という感情が多少なりとも残っているのですが…。

長期化すればするほど、別の感情が出てくるようになるのです。

その感情の変化とは…「諦め」です。

ひきこもりを続けている本人が、人生を幸せに生きること自体に対して諦めの感情を持ってしまっていたら…

そして自分自身の殻の中に閉じこもってしまったら…

どれだけ周りが支援したとしても、言葉を投げかけたとしてもなかなか響かないでしょうし、動かないでしょう。

では、どうして長期化するほど諦めの感情が出てきやすいのか。

それは、前回書いたような、就職や結婚、幸せな人生を送ることが難しくなっていくという厳しい現実を、本人も想像できてしまうからです。

最初は、就職しようにも履歴書の経歴に白紙の部分が出来ちゃってその言い訳が出来ないし、面接も苦手、いや、そんな履歴書を出したらどうせ書類審査だけで落とされるだろうから就職活動をするだけ無駄だ、みたいな感じだったのが…。

だんだん、募集要項の年齢制限にも引っかかるようになってくるのです。

こうなってくるといよいよ何処にも就職することが出来なくなります。

そのような恐ろしい現実が、どんどん襲いかかってくる事を本人も自覚しているのです。

だから諦めるしかない、という方に感情が傾いてしまうのも、ある意味仕方がないともいえるでしょう。

更に自分と同年代の人たちが、綺麗な奥さんと子供を連れて公園で遊んでいたり、ショッピングを楽しんでいたりするのを見てしまうと、ひきこもりを続けている自分自身の「みじめさ」がより一層際立ちます。

そのような光景を見てしまうと、辛くなってきて自分が壊れてしまうかもしれません。だから外に出ようという気すら起きなくなるのです。

特に休日に買い物なんかは絶対に出かけることが出来なくなります。そういう幸せそうな光景を、そこかしこで見ることになるのが分かっているからです。

こういうことが続くと、

「私も幸せになりたい」

が、だんだんと

「私も幸せになりたかった」

に変わってしまいます。

「幸せになりたかった」となってしまうのは、「もう幸せになれないのだ」「普通の人生は歩めないのだ」ということを自覚しているからです。既に幸せになることを諦めているのです。

ひきこもりが長期化して本人に諦めの感情が出てしまうと、復帰や脱出は非常に厳しくなります。ですので出来るだけ早期にひきこもりを解決、脱出する必要があるのです。

>>>更に長期化すると、支援に関しても…